『新約聖書』
には27の書が含まれる。
イエス・キリストの生涯と言葉(福音Gospels)
初代教会の歴史(『使徒言行録』Acts of Apostles)
初代教会の指導者たちによって書かれた書簡
(多くのパウロによる書簡が含まれる Epistle, or Letter)
『ヨハネの黙示録』(Revelation, or the Apocalypse)
使徒
原語のギリシア語は ἀπόστολος (apostolos) で、「派遣された者」が原義
「十二使徒」とは、最初にイエスによって選ばれた12人の弟子集団である。
夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から、十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。すなわち、
1. ペトロとも呼ばれたシモン Simon
2.その兄弟アンデレ Andrew
3.ヤコブ James
(彼らは漁師でイエスから「今からあなた方は人間をとる漁師になるのだ」と言われて、従った。第5章11節)
5.ピリポ Philip
6.バルトロマイ Bartholomew
7.マタイ Mattew
8.トマス Thomas
9.アルパヨの子ヤコブ James ("sone of Alphaeus")
10.熱心党と呼ばれたシモン Simon ("who was called the Zealot")
11.ヤコブの子ユダ・タダイ Judas("son of James)
12.イスカリオテのユダ Judas Iscariot
このユダが裏切り者となったのである。
レオナルド・ダ・ヴィンチによる「最後の晩餐」における配置は左から以下の通り: バルトロマイ(ナタナエル)、アルファイの子ヤコブ、アンデレ、ユダ、シモン・ペトロ、ヨハネ。イエスを越して、トマス、ゼベダイの子ヤコブ、フィリポ、マタイ、タダイ、熱心党のシモン。
パウロPaul the Apostle, Saint Paul
(ユダヤ名サウロSaul of Tarsus)
正教会やカトリック教会はパウロを使徒と呼んで崇敬するが、イエスの死後に信仰の道に入ってきたためイエスの直弟子ではなく、「最後の晩餐」に連なった十二使徒の中には数えられない。
新約聖書の『使徒行伝』によれば、パウロの職業はテント職人。ベニヤミン族のユダヤ人でもともとファリサイ派に属した。熱心なユダヤ教徒の立場から、初めはキリスト教徒を迫害する側についていた。
54年ころ、コリント人への第一の手紙を記し、書簡の中で、死んだはずのナザレのイエスに自分は出会ったことがあるとしている。
ダマスコへの途上において、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と、天からの光とともにイエス・キリストの声を聞いた、その後、目が見えなくなった。アナニアというキリスト教徒が神のお告げによってサウロのために祈るとサウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになった。こうしてパウロ(サウロ)はキリスト教徒となった。この経験は「サウロの回心」といわれ、紀元34年頃のこととされる。一般的な絵画表現では、イエスの幻を見て馬から落ちるパウロの姿が描かれることが多い。
一方でパウロ自身はこのエピソードを自ら紹介しておらず、単に「召されて使徒となった」などと記している。
その後、かつてさんざん迫害していた使徒たちに受け入れられるまでに、ユダヤ教徒たちから何度も激しく拒絶され命を狙われたが、やがてアンティオキアを拠点として小アジア、マケドニアなどローマ帝国領内へ赴き、会堂(シナゴーグ)を拠点にしながらバルナバやテモテ、マルコといった弟子や協力者と共に布教活動を行った。特に異邦人に伝道したことが重要である。『使徒行伝』によれば3回の伝道旅行を行ったのち、エルサレムで捕縛され、裁判のためローマに送られた。
伝承によれば皇帝ネロのとき60年代後半にローマで斬首刑に処され殉教したと言われる。またローマからスペインにまで伝道旅行をしたとの伝承もある。
フラ・アンジェリコ
福音記者ルカ Luke the Evangelist (Latin: Lucas)
『ルカによる福音書』及び『使徒行伝』はルカの手によるものとして「ルカ文書」と呼ばれるが、福音書及び使徒行伝には著者についての記述はない。一方、新約聖書中には、ルカと云う名前がパウロの書簡に協力者として現れる(『フィレモンへの手紙』24、『テモテへの手紙二』4:11、『コロサイの信徒への手紙』4:14)。教会の伝承では、早くからこの人物が福音書及び使徒言行録の著者とされてきた。『コロサイの信徒への手紙』には「愛する医者ルカ」とあり、ここから福音書記者ルカの職業は伝統的に医者であると信じられてきた。
『使徒言行録』には、パウロの幾度かの布教旅行に「わたしたち」とする記述が有り、ルカが著者であれば、ルカはパウロの最初のマケドニア宣教及びマケドニアからエルサレムへの旅行、またエルサレムからローマへの護送に付き添っていたことになる。
wikipedia
『マルコ福音書』Mark
本文には著者を同定する手がかりは何もない。しかし、2世紀のパピアス以来、第二福音書(『マルコ福音書』)の著者はペトロの通訳を務めた弟子で、ペトロからイエスの生涯について聞き取ったマルコであるとされてきた。もしこの伝承が史実なら、マルコはイエスを直接知る人々からイエスについての証言を聞いたことになる。なお、パピアスの資料は現存しておらず、カイサリアのエウセビオスの以下のような引用によってのみ知られている。
「長老たちによれば、マルコはペトロの通訳になり、ペトロの記憶していたことを忠実に記録したという。しかし、それは決してイエスの生涯における時間の流れに正確に沿ったものではなかった。マルコ自身はイエスに会ったことはなく、ペトロからイエスについて聞いたのである。しかしペトロの言葉も聴く人々のその時々の必要に応じたものであって、決してイエスの言葉を体系的にまとめることを意図していなかった。マルコ自身に関していうなら、彼はペトロから聞いたことを忠実に記録し、決して自ら加筆修正することはなかった。」
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